どうもどうもどうもー!
チャッピーです!
今回は杉原千畝記念館へ行ってきたお話です。
杉原千畝記念館って
杉原千畝さんという外交官についての生い立ち。当時の時代背景を合わせて説明しながら、命のビザを発給した功績を称えた記念館になります。
リンク:杉原千畝記念館
杉原千畝記念館は館内撮影禁止
残念ながら記念館の中では、撮影禁止となっていますので外側の写真しかありません。
杉原千畝記念館はどこにあるの?
杉原千畝記念館は杉原千畝さんが生まれ育ったと言われている、 岐阜県加茂郡八百津町にあります。
※杉原千畝さんの出生地について。
出生地の記載は武儀郡上有知町(現在の美濃市)という話もあるようです。真相についてはわかりかねますが。
さらに、八百津町には人道の丘公園という公園があり、公園の中に記念館はあります。
公園は「メモリアルゾーン」、「アクセスゾーン」、「カルチャーゾーン」、「アミューズゾーン」の4つの区域と「杉原千畝記念館」からなる。
引用 wikipedia :人道の丘公園
人道の丘公園について
人道の丘公園にはメモリアルゾーン、アクセスゾーン、カルチャーゾーン、アミューズゾーンと4つのゾーンから構成されているみたいです。
今回は杉原千畝記念館は最後に入ってみることにして、メモリアルゾーン、アミューズゾーンも散策したのであわせて紹介しておきます。
人道の丘公園にあるアミューズゾーン
アミューズゾーンには遊具があり、子供と遊ぶのに適していると思います。
遊具には展望台のように上に登ることができる場所があるので、八百津町を一望できます。
またアミューズゾーンの道路を挟んだ向かい側には、命のビザ・モニュメント「愛」「勇気」「心」というものもあります。
命のビザ・モニュメント「愛」「勇気」「心」
杉原千畝さんが書き続けた「命のビザ」を重ね、希望の光を反射させながら空へのびていくモニュメントがあります。
3つの鐘のモニュメントからなり、それぞれに「愛」、「勇気」、「心」と書かれています。
英字でも「charity」「courage」「spirit」とも書かれています。
人道の丘公園にあるメモリアルゾーン
メモリアルゾーンにはシンボルモニュメントと杉原千畝銅像がおかれています。
シンボルモニュメント
「世界平和」をテーマに平和を奏でるモニュメントとして、世界に平和の光と音楽を発信しています。
モニュメントはパイプオルガンをイメージしているようで、160本のパイプの大小は世界の国々を表しているようです。
杉原千畝銅像
杉原千畝さんの出生から功績を称え、八百津町の街並みが一望できるこの地に建立し、後世に顕彰しているようです。ここで記されている内容を一部記載すると
自身の危険を覚悟して日本の通過ビザをかき続け、6000人もの尊い命を助けました。
この勇気ある「愛の決断」は尊い人道的行為として、日本はもとより国際的にも高く評価されています。
杉原千畝さんは2139通のビザを発給しました!
杉原千畝さんはリトアニアにあるカウナス日本領事館に赴任した外交官です。
当時、1940年頃の夏、ドイツではナチスが大勢のユダヤ人を迫害していました。
ユダヤ人はいち早く逃げるには脱出するためにビザが必要でした。
このためカウナス日本領事館にユダヤ人が押し寄せ、杉原千畝領事代理に訴えたのです。
杉原千畝さんは外務省に許可をもらう電報をうつのですが、日本政府からは正規の手続き以外ビザを発給してはいけないとの答えしかかえってきません。
そのため、杉原千畝さんは国に従うか、人道愛に生きるか悩み、決断します。
人道博愛精神第一に生きようとユダヤ人のためにビザを発給しつづけました。
杉原千畝記念館に行ってみて感想
第二次世界大戦中にナチスドイツはホロコーストと呼ばれるユダヤ人迫害をしていたこと。
人種差別が進んでいくと、強制収容所では人を人として扱わない悲惨さ。
今の世の中では考えられないようなことが、第二次世界大戦の最中にあったと思うと胸が痛みます。
戦争で荒れている状況で、国に背いて、命の危機が迫るユダヤ人に対し、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、条件をつけずにすべてのユダヤ人に対し、ビザを発給し続けたのは誰でもできることではないと思います。
今の世の中、自分自身のことばかり考えて、他人に優しくなれる人はなかなかいないと思います。
自分のことなど考えず、他人のために一生懸命になれるというのはこれから見習っていきたいと思いました。